阿佐ヶ谷住宅 終わりのある散歩

先週のこと、阿佐ヶ谷七夕まつりを見物しようと、浜田山駅から阿佐ヶ谷駅に向かうバスに乗ったときに、車窓から見た景色、実はそれが遅まきながらも「阿佐ヶ谷住宅」へのファーストコンタクトだった。善福寺川緑地では枯葉を焚きつけて芋を焼いたこともあるのだけど、阿佐ヶ谷住宅には一度も行ったことがなかった。バスがカーブを曲がったとたんに、視界いっぱいにパーッと広がった、「どこかで見たことのある風景」。それはひとつの感動だ。

子ども時分に団地で育ったひとなら、きっと、実像と結びついたノスタルジーを感じるのだろう。その点、住宅地の一軒家で育ったわたしは、団地にいまいちなじみがない。団地は八十年初期に近所にも建ちはじめた高級なマンションに比べると、ちょっと野暮ったいくらいの「公団」だった。クラスのおともだちが住んでいた東の団地は、五階ほどというさほど高さのない横長の白い建物がいくつか群れていた。団地と団地との合間にある小さな公園(わたしの家のすぐ裏手には緑豊かな大きな公園があったけれど、それとはまたぜんぜんちがう類の)、アスファルトで整地されたスペースにカラフルな遊具が置かれている「団地の公園」は、茂みや崖際であそぶのとはちがう面白さがあった(蛸のかたちをしたすべり台やかっこいブランコなど、目新しい遊具があったので、わざわざ自転車に乗って遊びに出かけては、「団地の子じゃないやつは出てけー」と、よく追い出されたのだけど)。

 

今日は途中の停留所でバスを降りた。阿佐ヶ谷住宅周辺を散歩するのが今日の冒険。歩道もなく、ゆるやかに曲がっていく道の端を歩き、ときどき木々が茂る中の小路に入っていく。お盆入りした夕暮れだからなのか、あたりには人の声があまりせず、蝉ばかりがやかましく鳴いていた。団地の多くの部屋はすでに退去済みで、住むひとがいなくなった家の窓には無粋にも板が打ち付けられ、廃屋であることを告げていた。その一方で、庭に色とりどりの花が咲き緑が茂っているテラスハウス。どこかの家からはクラリネットの練習をする音色が聴こえてきた。ゆったりと息づいている住宅、そこにある生活、つづいている毎日のくらし。

阿佐ヶ谷住宅については、建築家であるおおかわさちえさんらによるとたんギャラリー「阿佐ヶ谷住宅日記」に詳しい。そうだ、とたんギャラリー、誰かからうわさを聞いたことがあった。しかしギャラリーはすでに公開を終えていた。残された時間、とたんギャラリーに集う彼らの仕事は、阿佐ヶ谷住宅の最期を記録すること。そうね、また散歩しよう。ここが取り壊される前に、何度も訪れておきたい。時間と空間の軸がゆっくりとおだやかにゆがむふしぎがここにある。こういう住宅に住むことはできないものかしら。

阿佐ヶ谷住宅日記】 http://www.geocities.jp/asagaya_jyutaku/