南方熊楠の見た夢「クマグスの森展」

晴れた日の正午過ぎ、新橋から乗った地下鉄銀座線の車中、不意と思い立って外苑前駅で下車し、すこし散歩をしようと思った。だって天気がよかったから、そして時間が溢れていたから。昨年知り合った面白そうな人々の事務所が外苑前にあると言っていたなと思いついたけれど、今日のところは「南方熊楠の見た夢 クマグスの森展」を観にワタリウム美術館へ。

南方熊楠という人の名をはじめて知ったのは、中沢新一の『森のバロック』を読んだときだったかな、たしか高校三年生のこと、比較宗教学だとか文化人類学だとか儀礼論だとかそういう学問があると知ってがぜん大学に進む気持ちが盛り上がっていたわたしが、手当たり次第に読み始めた最初の「哲学書」で出会った。でもそのときは「体毛の濃そうな名前だな」と思っただけで、いったいどういう人物なのかも理解できないまま通り過ぎた。実際のところ、熊楠が探究した世界の広さ(博物学や植物学、性のタブーや人食、宇宙、もうさまざま、まさに森羅万象というもの)に圧倒されて「知る」ことを知らずにいたのだと思う。

今回のワタリウム美術館での「南方熊楠の見た夢 クマグスの森展」は、熊楠が生涯追い求めた大きな世界をわかりやすく展示している。子どもの頃から『本草綱目』などの筆写をはじめ、十歳すぎには「博物学」の教科書を自作、和歌山から東京へ、そしてアメリカを起点に世界中を渡り歩いた放浪の時期の熊楠直筆の書簡や論文、留学生仲間うちの風刺新聞、スケッチなどを展示。紙を埋め尽くすほどに書き込まれた文字の多さ! でもそれも頭の中のほんの一部に過ぎないのだろう。「熊楠の内的宇宙」と題されたフロアでは、夢、幻、カニバリズム、タブーなどについて考えたこと、「南方マンダラ」に至るまでの思考の道をたどることができる。熊楠が書いたスケッチの中に「いつも幽霊は自分に対して垂直に現れるが、幻は水平に現れる」という、幽霊と幻の見分け方を書いていた。役に立つなあ! そして最後に圧倒的なヴォリュームの標本やスケッチ。森を歩き、調べ、整理された、キノコ図譜や粘菌の標本など、熊楠が残したコレクションの数に驚いた。あんなにいろいろなことを頭で考え、多くのことを書き残した一方で、相当の時間を「フィールドワーク」に費やした熊楠。そして和歌山の森で、そうだ、熊楠にとっては、事象も内的な思考もすべて連動しているという考えの通り、すべてがつながっている。ここに展示された(ものだって、一部にすぎない)ものがすべてひとりの男による仕事だということ、「知」とは偉大で果てしない。

「南方熊楠の見た夢 クマグスの森展」ワタリウム美術館で二月三日まで。パンフレットやキノコ図録も面白かったです。
【ワタリウム美術館】

クマグスの森―南方熊楠の見た宇宙 (とんぼの本)

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森のバロック (講談社学術文庫)

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