ミスハタリの道北旅 6 流氷ノロッコ号

午前六時、旅の朝はやっぱり早い。畳のうえに敷かれたふとんで眠るのはひさしぶりだ。窓の外は爽快に晴れている。昨夜ダイヤモンドダストを見上げた川や、通り沿いに建つホテルや家々の脇、路上のマンホール、あらゆるところから温泉の湯気が上がっている。窓を開けると空気が冷たい、氷点下の朝だ。浴衣姿のままタオルををつかんで大浴場へ。早朝の温泉をまたもやひとり占め、プカーンとぬる湯に泳ぐ。すっかり硫黄の匂いがからだに染みついたみたい。朝食バイキングは地味ながらも素朴でおいしいお惣菜が多く、ひじきや切干大根や焼き魚、煮物などを中心に腹ごしらえ。この朝食と入湯税も含めて一泊四三五〇円とは(時期や客室などの条件によってちがうこともあります)。帰りがけにはフロントスタッフの方が玄関外まで見送ってくれた。とても楽しかったです、また来ます、今度は夏にね、と告げて手を振る。

バスを待つあいだに、名残惜しく川湯を歩いてあそぶ。樹霜がとてもきれい(樹氷とはちがう)。

川湯温泉駅は無人駅なのでそのままホームに出る。ワンマンカーなので乗車口にみんなが並ぶ。朝から立ちたくないなあという思いは地元の人も旅人も一緒のようで、のんびりした小駅に緊張が走る。釧路から湿原を貫いてやってきたのはやはり一両のディーゼルカー、キハ54。10:36発の快速しれとこ、網走行き。座席はすべて埋まっていた。

途中の知床斜里駅で下車。道東知床半島への玄関口、観光案内センターとつながった駅舎は完成したばかりで、「記憶の駅」というコンセプトで作られた建築。壁面には知床の原生林維持のために間伐されたカラマツを利用しているという。観光案内センターのお姉さんに流氷の具合を尋ねると、パソコンの画面を見せながら、ここ数日南風なので今日はまだ見られないですね、との答え。駅構内は改札を待つ人たちで混みあっていた。団体旅行のカタマリや外国人も多い。お目当ては「流氷ノロッコ号」。知床斜里と網走の間を一日二往復する冬のイベント列車で、今年で十九年目の運行だという。知床斜里駅11:57発の「流氷ノロッコ四号」の指定席券は昨日買っておいた(自由席もあります)。この「ノロッコ号」は季節によって海沿いを走る「流氷ノロッコ号」になったり、昨日SLで通ってきた湿原を走る「釧路湿原ノロッコ号」になったりする。どちらもノロノロゆっくり進むのは同じ。DE10という機関車が客車を引いていくのだ。

 
 

やっぱり車内にはダルマストーブがあり、知床斜里駅のホームではスケソウダラが干してあった。

 

絵に描いたような行楽列車。窓が大きくて、片側は窓向きのベンチシートになっていた。もう片側は向かい合わせの六人掛けのテーブル席。隣のテーブルのオバチャンたちがわたしの向かいまであふれてきていた。地元の弁当屋さんが車内に上がりこんであわただしく出張販売中。天井には大漁旗や知床に住む野生動物のヌイグルミが飾られてとてもにぎやかだ。スルメイカが焼ける匂いや弁当の匂い、浮かれたざわめきを乗せてノロッコ号ノロノロと出発。ガイドの案内放送によると、朝は皆無だった流氷がすこし戻ってきているという。晴れた青空の下、海には氷はまだ見えない。

途中、海に面した北浜駅で十分ほどの停車。ここも無人駅ながら喫茶店になっている。小さな展望台から海をのぞむ。なるほど海面にごく小さな白いはぐれものが見えた。流氷の接岸は観光客にはうれしい風景でも、地元にとっては船が出せなく困る日常。そうわかっていても、きっと海面びっしりに流氷が敷きつめられていたら圧巻だろうと想像する。しかし近年、流氷は薄くなっているというから、子どもの頃にニュースや教科書で見たような風景とはずいぶんちがうものになっているのかもしれない。



→【流氷ノロッコ号(JR北海道釧路支社)】


12:53網走駅到着。すぐ乗り換えられる特急を一本見送る。おなかがすいた。旅も後半、さて旅人らしく胃袋を満たそう。携帯電話で口コミを調べて、やたらとバイク乗りに評判がよいお店「食事処いしざわ」に電話をする。駅から繁華街までどれほど歩くのかわからずタクシーに乗るべきかと尋ねるより先に、電話に出た大将は、じゃあ今から迎えに行くよーと言った。えっ、迎えに来るの? 店のおやじさんが! 

「いしざわ」の表には「網走ラーメン」と書かれているのに、店内に入ると地物の魚介類さまざまの居酒屋メニューがずらり。カウンタの中にはおかあさんと、大将の息子さんが待っていた。親切で気さくなお店。こづかいは残してあるんだ、なにかおいしいものが食べたいよー、と言うと、大将は、うにいくら丼をすすめてくれた。いま時期、うにだけだと高いから半分いくらにしておきな、との注進。それからホッケを半分焼いてもらった。お酒が呑みたいなあ。サービスにイカ刺しも出してくれた。おなかいっぱいだよ! しかもとても安いよ!(夏の時期なら千五百円でうに丼が食べられるそうです)

  

次の列車までの一時間ほどをゆっくり過ごす。大将は女の子相手だと特にゴキゲンなようで、後からやってきた大阪からの旅人のお姉さん二人組にもニッコリ。写真を撮ったり、寄せ書き帳を見せてくれたり。過去の寄せ書き帳をめくっていると、数年前に店を訪れた旅人のカワイコちゃんの写真を見つけて、なにをするのかと思いきやとつぜん電話をかけた! 「おひさしぶりだねえ、網走だよ、結婚したかい?」って、えー! と、そんな大将がいれてくれたコーヒーを飲み、列車の時間が近づいてきたので車で駅まで送っていただいた。いいなあ、このお店。網走のイメージが強烈なものになった。

→【食事処いしざわ】網走市南五条西一丁目 電話:0152-43-4661

網走駅からは特急で札幌を目指す。14:17発「流氷特急オホーツクの風」に乗車。リゾート気動車二階建て車両を付けた豪華な列車。ロビーカーや売店もあって車内探検が楽しい。自由席車両の座席頭上にはテレビ画面があり運転席からの景色が見られるのもうれしい。

網走駅を出て石北本線を走る。網走湖でわかさぎ釣りをする家族連れを眺めつつ、しばらく行くと辺りはくもり空にかわった。この旅はじめての灰色の景色だ。留辺蕊(るべしべ、と読みます)駅を過ぎ、金華のあたりで列車が急に減速したのでどうしたのかなと外を眺めると、白樺のあいだをシカがヒョコヒョコ跳ねていた。三匹のシカが跳ねて、ふりかえってこちらを見ていた。ザ・北海道だ。遠軽駅で進行方向が変わる。ヨイショと座席を回して座りなおす。遠軽のあと丸瀬布(まるせっぷ、と読みます)のあたりになると雪が深く、人家もまばらになる。なだらかな山がいくつも連なり、線路が徐々に大雪に近づいていくのを感じる。上川駅の手前で吹雪はじめ、夜が近づいてきた。寒さが厚い窓ガラスごしに伝わってくる。安足間(あんたろま、と読みます)に至ってはもう雪のなかに駅がある。静かな世界。

網走からこのあたりまでは特急列車に乗っているはずなのに、とてもゆるやかに感じる。駅間の長い鈍行に乗っているようだ。し網走出発から四時間弱で旭川駅に着いてしまうと、その旅情はなくなる。あとはエピローグだ。札幌が近い。

19:37札幌駅到着。大きな荷物を引きながらまっすぐススキノに出て、繁華街さなかのビルのバーで旧友とウイスキーを呑んだ。里帰りがかなったのは午前三時のことだった。結局また不孝者になってしまった。



【ミスハタリの道北旅 2008】
1 出発とおみやげ 2 『終着駅は始発駅』 3 帯広「北海道ホテル」 4 蒸気機関車と釧路湿原 5 川湯温泉紀行 6 流氷ノロッコ号 7 札幌「キコキコ商店」番外篇