「急行ほたて」に乗って――「宮脇俊三と鉄道紀行展」

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私は九月上旬の汽車に乗ると、いつも「終り」を感じる。一年を感ずる。すぐあとに秋が控えているだけに、おなじ閑散期でも、二月や六月とはちがった淋しさがある。だから、汽車旅のなかで一年をもっとも強く感じるのは、私の場合、九月はじめである。窓外を過ぎる山河の眺めは晩秋のほうが一年の終りにふさわしい淋しさがあるが、九月はじめほどに感じられないのは、秋から冬への移行には季節の変わり目をさほど感じさせない連続性があるからではないかと、私は思う。(宮脇俊三『汽車旅12ヶ月』「9月/夏の終りとSL列車「やまぐち」号」より)
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八月の終わりから、東京はとつぜんの雨が増えた。目覚めたときはくもり空だった。早朝に降っていた小雨はやんで、日が差して、窓の外から家のなかまで、土曜日が広がる。休日なのだ! 出かけるのだ! 旅気分なのだ! 早起きの午前には、自転車に乗って芦花公園世田谷文学館まで。たのしみにしていた「宮脇俊三と鉄道紀行展」を観にいく。開場してすぐの午前十時なら客の出足も遅いだろうという魂胆だ。しかし、たいていの鉄道ファンは朝が早いのなんて平気なものだ。すでに何人もの先客たちが展示に見入っていた。そうだ、そうだ、やつら、いや、わたしたちは旅と列車のためなら、どんなに寝不足でも、始発列車に平気で乗ることができるのだった!

展覧会の入場チケットは、マルスで発券される水色のJRきっぷ仕様。硬券かなとふんでいたので意外。それでもうれしい。場内で展示されていた、国鉄時代の切符のあれこれを眺めていると、鋏を入れる硬券はもちろん、黄みどり色のペラペラの紙の切符(特急券や寝台車券)がとてもなつかしい。

向田邦子 果敢なる生涯 →」「植草甚一/マイ・フェイヴァリット・シングス →」以来の世田谷文学館。ここの展示はいつもボリュームもたっぷりで、一定水準の知性で整理整頓されているので、とても見ごたえがある。静かなる情熱で集められた資料の数々。没後五年になる宮脇俊三さんの仕事ぶりとその旅、生涯鉄道愛に満ちた、放浪の熱情と、ダイヤグラムのような生真面目さ(自作の地図のタイトルをちゃんとレタリングしている、なんと美しい明朝体!)を余すことなく紹介している。著作とその取材旅行の数々のエピソードが魅力的なのはもちろんのこと、宮脇俊三クロニクルの精密さ、優秀な編集者としての仕事(『世界の歴史』全集の編集などに携わっていたそうです)、もちろん『時刻表2万キロ』をはじめとする著作の文章、それから、余談のようでありながら、人柄とセンスを伝える年賀状の図案など(毎年の鉄道ニュースと干支の動物が線で描かれる。『最長片道切符の旅』の方だったかな、ビジネスホテルを描いたドローイングのようなテイスト)、さまざまな展示があるのに、浮かび上がってくる人物はすべて宮脇俊三という、確固たる「柔軟な」鉄道ファンであるというのが面白い。

入ってすぐに、宮脇さんが読者から「鉄道紀行文を書く心得とは?」と訊かれたときの回答が挙げられている。かんたんな言葉づかいで、自分の興奮を抑えて、楽しみを読者に伝えることを第一義に考える、という内容の答え。当たりまえのことにハッとする。宮脇さんは柔軟だ。ウンチクを語って悦に入ることはない。『最長片道切符の旅』のなかでも、できるかぎり読者全員にわかるように(この旅の前提だから当然だ)「営業キロ」と「換算キロ」のちがいについて説明したり、「尾久問題」について頁をさいていたのも、読者に、時刻表の面白さと旅の意義を伝えるためのこと。だから、ひたすらに宮脇さんの文章はやさしい。

『線路のない時刻表』に掲載された未開通路線 のための国鉄非監修の自作時刻表原稿。これがすばらしい! 開業開通予定の路線の時刻表を手書きで作っている。たとえばそのひとつ、岩手県太平洋岸の「盛駅〜釜石〜宮古〜久慈〜八戸〜青森」(現:三陸鉄道南リアス線〜山田線〜三陸鉄道北リアス線八戸線東北本線)を走るのは、ジャーン! 「急行ほたて」! なんてかわいい!

もちろん架空の列車で、「急行ほたて」が走ることはなかった。でも宮脇さんはきっと「急行ほたて」を時刻表のうえで待っていた。駅弁はもちろん「ほたて弁当」。たくさんの展示のなかでも、釘付けになったのがこの自作時刻表のなかを疾走する、いいや、どうもノンビリしていそうだけど、「急行ほたて」。「急行ほたて」にゆられて、わたしは旅に出る。窓を開ければこころの海辺でうみねこがさわぎます。そんな、九月の初旬です。

宮脇俊三と鉄道紀行展」は世田谷文学館で、九月十五日まで。
http://www.setabun.or.jp/exhibition/miyawaki/