We are just married.-2009.12.06.

このライヴの数時間前、つまり、よく晴れた冬の日曜の午後。わたしたちは結婚しました。

世で言う「結婚」がどれほど特別な選択でどれくらい有益な手段なのか、その真意はまったくわからないままなのですが、ちょっとした偶然とちょっとの勇気のおかげでわたしたちは出会い、恋をして、これからの日日をともに重ねていきたいとおもうようになりました。今日のつづきと明日の行方を並んで見てみたい、ただそれだけの好奇心かもしれません。わたしたちが出会うずっとずっと昔に、それこそふたりが別の土地で三歳や五歳や十歳や十五歳や十七歳や二十五歳だった時分を経て、お互いが切り拓いてきた道を知るほどに、その好奇心はますます強まり、正直なところ、今まで以上にこれからの道行きに明るい光のようなものを感じたから、わたしたちはごく自然に、どちらからともなく手をつないで生きていくことにしたのです。そこには特別な狙いも有効な企みもなく、ただただ、ひたすらに前向きな好奇心が、明るいコードの鼻唄とともに駆け出しているばかりなのです。

寝ぼけた鼻に朝を告げる挽きたてのコーヒー豆の香り、ふざけた仕草を見せる猫のぬくもり、窓際に並んだ鉢植えと花瓶、くりかえされる「おはよう」と「おやすみ」、新しい炊飯器で炊き上がったお米がびっくりするほど甘くておいしかったこと、今まで聴いたことのないレコードの数々、となりの部屋で弾かれた低い弦の響き、役所や銀行の窓口で呼ばれる苗字の頭文字が「あ」から「わ」に変わったこと、ビルの屋上で青空を望みながらシーツを干す開放感、新しい町を知るための散歩と冒険、扉が開いて交わす「ただいま」と「おかえり」、単純に数の問題ではなく強度や密度が倍に増した家族や友だちとの関係。こうしてもたらされた幸福のヴァリエーションの豊かさに驚き、たくさんの感謝を重ねています。
その夜、ムッシュのほかにも、彼にとっての馴染みとわたしにとっての新しく出会った数多くの友人たちからも笑いかけていただきました。彼の素晴らしいところをひとつだけえらんで自慢することを許されるなら、「ひとに愛される」ところをまず挙げましょう。数日前からの引越片付け家具の組み立てでヨレヨレだったところに緊張が重なり、ヘロヘロでベロベロになるまでたくさんのお酒を呑み、午前四時を過ぎてようやく帰宅した新婚初夜。バッタンキューで夢のなか。

こうしてゆかいに平穏に、ときどきどきどきして暮らしていきましょう。

ハタリはミズハタリやミセスハタリになっても、そのココロはやっぱりミスハタリで、あいかわらずなまくらでならずものです。今後ともご指導ご鞭撻、お付き合いのほど、よろしくお願いします。お仕事はもちろん、お茶やお酒やごはんへの誘惑もお気軽にどうぞ。

 

2009.12.06. hatari