高尾山―Oh! Mountain

六月の土曜日、目が覚めたら部屋は真夏のような暑さだった。さっそく洗濯を済ませて、朝ごはんを食べて、顔を洗って、布団を上げる。

どこにいきたい、ちょっと遠出がしたいな、どこかな、そうね深大寺、どこだ、調布と三鷹のあいだ、なにがあるんだっけ、植物園と温泉とお寺とそば、蕎麦ね、そばよ、蕎麦かあ、そばといえば、蕎麦、高尾に行くのはどうだろう、蕎麦だから、うん、晴れているしいいね、高尾山に登りたいな。

正午の電車に乗り、明大前駅準特急に乗り換えて、先頭車両で線路の先を眺めながら出発。高尾駅から高尾山口駅に向かう路線は単線で、その一駅分の景色がたまらなく楽しい。

高尾山に来たのは数年前の元旦以来だ。こころがペシャンコになって、ふらふらと、練馬、世田谷、杉並と友人の家を渡り歩くことで、絶望と沈黙を泥で埋めていた健気な年の瀬のこと、阿佐ヶ谷で百八の煩悩を抱きしめたまま居眠りをしていたら、午前三時半に友人たちにたたき起こされた。「そろそろ出発しなきゃ間に合わないよ」「はあ」「高尾山」「はあ」「初日の出を見に行くのよ」「やだよ、足元ブーツだもん」「表参道を登れば平気だよ」「だって電車ないよ」「大晦日から元旦にかけては終日運行なんだよ」。高尾山口から、急勾配の参道を登っているとちゅうで夜が明けはじめた。夜を引きずったままの暗い空に、濃い朱色と濃いピンク色を混ぜこぜにしたような色が割って出てきた。真冬の冷気が頬を冷やしていた。夜と朝の境目などというはっきりしたものなんて世界にはないはずなのに、その強引な幕開けは、圧倒的な説得力をもっていた。新しい日がはじまる。この瞬間のあとは、長いエピローグがやってくるだけだ。そう思った。

だんだんと明けていく中を登りつづけ、小一時間後には頂上近くの高尾山薬王院に着いた。大勢の人々で込み合う石段で立ち止まり、すっかり明るくなった朝のなかで初日が顔を出すのを見た。歓声があがり拍手が起きた。そのまま見晴台まで登り、頂上まできれいに現れた富士山をありがたく受けとめ、崖の茶屋でお酒を呑み、帰りに健康ランドに寄って、昼前に解散した(二〇〇四年一月一日の日記はこちら→http://d.hatena.ne.jp/htr/20040101)。


高尾山に行くのはそれ以来のこと。まずは高尾山口の「竹乃家別館」でとろろそばをいただいた。「竹」「乃」「家」の文字にありがちないやらしい老舗風情とはほど遠い、古びていて風がよく通り抜ける、とても趣のある店だった。粘っこい自然薯と不揃いのそばで腹ごしらえをして、沢沿いの六号路を登る。まるで夏休みのような暑い日だったので、水辺の木陰を歩くのがとても気持ちよかった。午後二時を過ぎていたので、下山する人の方が多かった。登山の用意もせず、ベルボトムにクロックスでひょいひょいと登る。ところどころ木の根が張っていたり、道が狭くなったり、勾配が急になったり、沢を登ったり。おしゃべりを続けていたら息が上がることもしばしば。

 

高尾山は標高約六百メートルというやさしい山。六号登山路は三キロ強のコース。一時間ほどで登頂できるなんともお手軽なトレッキングだ。ちなみに小学生のころに登った北海道の羊蹄山は、標高二千メートル弱。スパルタな山親爺に連れられての山登りは、レクレーションなんてものではなく、まごうことなきサバイバルだった。いまとなっては楽しくありがたい思い出。

夕方が近づいてきたせいか、富士山は薄ぐもに隠れて見えなかった。見晴台で呑むビールは実においしい。山頂といえどもここよりも高い山がいくつも周囲を取り囲んでいる。ふとお願いごとをしたくなった。あの日の夜明けから、いまがつながっているのだなあ。数年ぶりに登った山のてっぺんからは、あの日とはぜんぜんちがう景色が見えている。わたしは元気だ。そして今年も六月二十三日がやってきて、わたしはひとつ大人になった。


Oh!Mountain

Oh!Mountain