時刻表先生、宮脇俊三

先日の旅路で『終着駅は始発駅』を読んで以来(→その記事はこちら)、宮脇俊三さんの本を続けて読んでいる。時刻表や鉄道や旅が好きなひとびとには「今さら!」と笑われそうだけれど、『時刻表2万キロ』と『最長片道切符の旅』。文庫で探すよりも、やはり当時の単行本で読みたいなあと思い、ひとまず区立図書館へ。保存図書として閉架書庫からやってきた二冊は、これまでにたくさんのひとが読み、旅の空想にふけったようで、すっかり変色した古書だった。


『時刻表2万キロ』(1978/河出書房新社)は当時の時刻表誌面や切符、線路図などが切り貼りされた表紙。装幀は和田誠さん。約二万キロに及ぶ国鉄全線乗車の終盤を記録した、壮大で、ときにセコイ、愛らしい旅行記。夕暮れどきの車内が黒い学生服の男子高校生で混みあうと行間から「いやだなあ」という雰囲気がビシバシと伝わってくるし、一方で、秋田を走るローカル線に乗れば「美人三〇%」なんて鉄道以外のメモを残したりしていて、「東京あたりでの含有量は五パーセントに満たぬとの厳しい基準でのそれだから相当なものである」なんて付け加えてあるのがおかしい。そういえば『終着駅は始発駅』の「東京の私鉄七社乗りくらべ」でも、東武鉄道「車内を華やかにする女子学生の姿がほとんど見られないのは惜しまれる」と評してプンスカしていた。


国鉄全線完乗を終えて、会社勤めからも引退したあと、一九七八年秋から冬にかけての旅の様子を記したのが『最長片道切符の旅』(1979/新潮社)。こちらは、件の「最長片道切符」にたくさんの下車印が押されたものが表紙に使われている。緑色の地色にスミで描かれた列車のドローイング、装幀は柳原良平さん。当時の、国鉄の鉄道と連絡船を使って一筆書きでもっとも長い経路を机上で計算し、実際に旅をするという大いなる「無駄」が輝かしい。北海道の広尾駅からはじまり鹿児島の枕崎駅で終わる最長片道切符の旅、「乗車キロ総計は13,319.4キロ、通過した駅は3,186駅」。今はなき路線の様子に羨望し、最近乗ったことがある路線の話は今昔物語のように面白く、まだ知らぬ路線に淡い思いをはせる、読みごたえたっぷりの一冊。徹底した探究心と実践力に感服するとともに、都内の入り組んだ路線(日暮里駅―赤羽駅間の「尾久問題」)や北九州の迷路のような路線を制覇するときの「してやったり!」な様子や、ダイヤグラムを読み込んでで絶妙な乗り換えをこなしたときの無邪気な喜びが、実に「男の子」らしくてかわいらしい。

最長片道切符の旅」は基本的にひとり旅なのだけれども、二人だけ「同行の士」が登場する。一人は千葉房総をぐるりと周った日のこと、父親の挑戦とも道楽ともいえる旅に小さな娘が付きあう。このパートナーは列車に乗ったとたんにトイレに行きたがったり、空腹を訴えたり、退屈になったりと、子どものルールで旅を翻弄する。二人目は山陰本線木次線を乗り継いで行く二日間、「星の王子様」と呼ばれる青年が同行する。この青年は、ただ宮脇さんがどういうふうに旅をしているのか見たいというだけで付いてきたので、列車に次ぐ列車にも文句も言わないばかりか朝から晩まで二言しか口をきかなかったりと、なかなか心地よいパートナーのようだった。その「第25日目(12月5日)」という章の冒頭にある文章。

===========
旅と旅行とはちがうという。自己の心を友として異郷をさすらう「旅」は失われ、観光地や温泉をセットにした「旅行」ばかりが横行するようになったと慨嘆される。その通りだと思うが、そうすると私のやっていることは何だろう。いつも一人だから「旅」のようではある。一人旅という事場はあるが一人旅行とは言わない。団体旅行という言葉はあるが団体の旅などとは言わない。しかし、鉄道一点張りのこんなのを「旅」と称するわけにもいかないだろう。(宮脇俊三『最長片道切符』より ※段落は省略)
===========

自分がやっている「大いなる無駄」をまず笑いながらも、誇りをもって「旅」を追求しているいるのが感じられる、そんな宮脇俊三さんの旅行記はとてもすてきです。

鉄道に魅せられた旅人 宮脇俊三 (別冊太陽)

鉄道に魅せられた旅人 宮脇俊三 (別冊太陽)

宮脇俊三鉄道紀行全集〈第1巻〉国内紀行1

宮脇俊三鉄道紀行全集〈第1巻〉国内紀行1

※この第一巻には『時刻表2万キロ』『最長片道切符の旅』『汽車旅12ヶ月』が収録されています。


それはそうと余談ですが、実はもう一冊、数ヶ月前に書店で見かけていた、ピンク色の「女子鉄道本」を読んだのだけども、それについてはあまり記述する気がおきないのでここでは無視することにします。どうにも「中途半端な鉄道好きの開き直り」で終わっている気がするのだよなあ。鉄道ブームと言われている昨今、ポジショニングの難しさも感じます。