人生をかえる本とコーヒー 〜【コーヒー篇】 吉祥寺「プチ」、渋谷「マメヒコ」、上野「王城」、日なたのコーヒー

ここにきて、人生におけるマストアイテムのひとつにコーヒーが加わりました。高校生のころに「放課後にすすきのミスドで耐久九時間、アメリカンコーヒーを七杯おかわりしたあとに帰宅して食べた焼鮭が弱っていた胃に直撃して一週間ずっとじんましんが出た」という目にが遭ってから、どうもわたしはコーヒーが苦手だった。大人になって勤めに出るようになり、とくに「営業職」が客先できょうの天気の話と一緒にいただくものといえばコーヒーなわけで、カップの底が見えちゃうくらいにうっすいコーヒーでも、わたしは苦い顔をしてのんでいた。コーヒーと牛乳のハーフ&ハーフ、つまりカフェオレの域をこえてコーヒー牛乳にならないとのめなかった。

それが、コーヒーがおいしいなあ、と思うようになったのはここ数年のこと。喫茶店やカフェで頼むものは、いつもホットコーヒーになった。

ここさいきん出会ったコーヒーを極私的なひいき気分でご紹介。

ある土曜日の午後、まめ蔵で豆カレーを食べたあとに、食後にコーヒーと甘いケーキでもと、たどりついたA.K Laboは女子で飽和状態(なんでも開店六周年記念の日だったそうです)。吉祥寺のはずれでとつぜんのコーヒー難民に。うわ、どうしよ、こまったなあ、と五日市街道を八幡さん方面に戻っていたら、道の向こう側にとつじょあらわれた「珈琲」の看板。あれっ、あんなところに喫茶店なんてあった?

 

茶店には見えないんですけど、誰かの家みたいなんですけど、とガラス越しにのぞいていると、中でおじさんやおばさんが手招きしている。こんにちは、と引き戸を開くと、おばさんが「ああ、ここ座って座って」とバタバタと移動し、「お客さんがきたわよー」と大騒ぎ。

 

壁にダルマ。床には大きな火鉢。「さっきまで餅焼いていたのに、おじょうさん、一足遅かったね」。って、なにここ、やっぱり誰かの家? まるで、旅先でひとりで入った居酒屋で土地のおっちゃんやおばちゃんと仲良くなってご馳走してもらうあのかんじ、それが吉祥寺のコーヒー屋(ということにしておこう)で行なわれているというふしぎ。キッチンからコーヒーを運んできてくれたママが、「まあ、これも好きなだけ食べて」。

 

って、あの、これは明らかに「おばあちゃんの家の食卓にあるアレ」ですね。コーヒーにはサラダせんべいが二枚添えられている。「サラダせんべいと、あとお茶しかサービスは出ないからねえ」とゆかいなママさん。あれっ。ベンチに座っていた笑い顔のおっちゃんが、甲斐みのりさんの『乙女の東京』やら沼田元氣さんの『ぼくの伯父さんの東京案内』やらを持ってきた。濃くておいしい、大真面目に大事にいれていただいたコーヒーをのみながらページをめくり、ああっ、わかった、あの看板をどこかで見たなあと思ったら、そうだ阿佐ヶ谷だ! とわたしが言うと、ママもおっちゃんも、そのとおりと笑った。

それは阿佐ヶ谷の「カフェ プチ」。元々が阿佐ヶ谷の北口路地にあって(「よるのひるね」さんのななめ向かい、おとなりはまたまた気になる「富士ランチ」だ)、ザムザへのショートカットのたびに気になっていたけれど、極端に間口がせまく、スナック仕様の扉越しに中をのぞくことが難しかったので、いつも迷っては通り過ぎていた。そのお店が移転してきたのだという。

「あたしが朝早く起きられないからさー、まずお昼に来て火をおこすでしょ、で、店があたたまって匂いが抜けて、二時頃にでもお客さんがきたらぼちぼち開けて、暗くなったらてきとうに閉めちゃう、たぶん」と笑いながら言うママさん。壁にかけられた年季の入ったメニューも、ついつっこみたくなるものが多くて、ずっと笑いながらおしゃべりした(コーヒーのほかに、ウイスキーの水割りやハイボールも呑めます)。ダルマや火鉢や石膏像や太鼓などがゴロゴロ転がっているそのふしぎな店はなんだか居心地がよくって、おしゃれなカフェではなくてこのおかしな空間に入り込んでしまったことをうれしく思った。なぜか赤ちゃん用の「粉ミルク」をサービスで出していただき、けっきょく三時間も長居して、大笑いして店を出た。さすが由緒正しき中央線のコーヒーショップ、濃くて味わい豊かなコーヒーの味は忘れられません。

【プチ】 吉祥寺、五日市街道沿い(大雑把ですが、八幡前成蹊大学前のちょうど真ん中あたりに看板が出ています)

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そんなふうに、わたしのコーヒークエストはつづく。


四月十五日、渋谷「カフェ マメヒコ」。ソファやクッションで腰や背中を甘やかされて長居を許される「カフェ」とはちがい、コーヒー・アンド・おしゃべり、あるいは、コーヒー・アンド・読書の一本勝負というかんじの、存在感の大きな木のテーブルがあるお店(でも気難しいマスターはいなくて、店員の女の子たちはさわやかで美人だった)。新しいお友だちと交わすはじめての会話も、マメヒコのコーヒーとともに深まります。お互いの音楽遍歴を告白して笑ったり、彼女と旦那さまが毎日ていねいにいれているコーヒーの話を聞いてうっとりしたり、ナイスな午後のおしゃべりと深煎りコーヒー。

【Cafe Mame-Hico】 渋谷区宇田川町37-11 大久保ビル 電話:03-6427-0745


四月二十六日、上野「王城」。

ほぼ毎日顔をあわせている友人と、アメ横がすぐそばにあるのに生ビールではなしに改めてコーヒーをのむというのはけっこう新鮮。「王城」は上野丸井の裏にある喫茶店。前に来たときはまだわたしはコーヒーがのめなかったから、たしかココアを頼んだはずだ。

 

目の前にやってきたブレンドは色濃くて酸味控えめ、苦味はしっかり。ありがたい味はしないけれど、平均的な喫茶店のコーヒーというかんじ。サイドオーダーで頼んだホットケーキ(200円て!)がふわふわで、バターとメープルシロップとクリームをたっぷり付けて頬張るしあわせ。ああ、だらしなく甘いものとコーヒーは合うなあ。

【王城】 台東区上野6-8-15 電話:03-3832-2863


四月吉日、四階の窓から見慣れない町を見下ろしていた。目の前でていねいにいれられるコーヒー。コーヒーというものはバリスタがサーブする喫茶店でのむものとおもっていたけれど、家で丁寧にいれるという選択肢もあるのだなあ。ひき立ての豆にお湯があたって、キッチンに香りがひろがる。「ここでふわっとふくらみます」。知らなかったなあ、おいしいコーヒーは、思いのほか身近にあるものという発見。

いつかはハタリハウスでもおいしいコーヒーを入れられるようになりたい。わたしは豆の種類も知らないし、必要なグッズはなにひとつ持っていないし、そもそもコーヒーの味がわかるほど大人ではないし、言ってみればコーヒーバージンだ。そう、コーヒーの道は長くけわしい、でも明るい気がする。ていねいにいれられたコーヒーをのんだ瞬間、そう、おいしいコーヒーに気づいたら、人生がかわるような予感がしたのだ。