ミスハタリの道北旅 5 川湯温泉紀行

反対側のホームからなびくSLの煙に後ろ髪をひかれながらも、旅にあともどりは禁物、と、グッとこらえて、標茶駅から先を目指す。13:10発の鈍行列車はもちろん一両編成。やってきたのはやっぱり「キハ54系」気動車。同じく非電化・積雪地域である大糸線を走る「キハ52系」のノスタルジックな雰囲気とはずいぶんとちがう。道北の雪原を切り拓いてきた職人かたぎの無骨さのようなものを感じさせる。北海道育ちにとっては子どものころから慣れ親しんできた「キシャ」そのもの。北海道の人が「電車」ということばをあまり遣わない(と思う。「キシャ」か「JR」と言う)のは、このキハ52の印象が強いからではないのかな(どうかな)。それにしても青空に電線がないのは、絵になるなあ。キハ好きの偏見かしら。

 
 

ワンマンカーの運転席や前方がガラス越しに望めるのもうれしい。単線の行方はひたすらまっすぐ。「ザ・北海道」と呼びうる景色のうちのひとつだね。磯分内、南弟子屈、摩周、美留和、と、北海道らしい名前(いそぶんない、みなみてしかが、ましゅう、びるわ、と読みます)の駅々にのんびり立ち寄りながら、この列車の終点、川湯温泉駅に到着したのは13:50。

 

一九三六年に建てられたという木造丸太組みの駅舎は、長年の雪にも耐え、建て直しすることなく今も使われている。無人駅となった駅舎には「オーチャードグラス」という喫茶店が入っている。カレーがおいしいといううわさ。食べたいけれども、本数の少ない列車の到着に合わせて川湯温泉行きのバスが待っているので、一本逃すものなら、次のバスは三時間半後。運転手さん曰く、温泉街まで歩いたら二時間くらいかな、とのこと。もちろん駅前には店はほとんどなく、タクシーは電話で呼ばないと来ない。迷わずバスの車内へ。ほっこりと暖かい。少ない旅人と土地のひとを乗せてのんびりとバスは走る。信号がほとんどないまっすぐな道、沿道には平たい牧場、雪のうえに馬や牛がいた。あ、これも「ザ・北海道」だ。

川湯温泉は道北方面のツアーパンフレットなどに取り上げられていて名前こそ有名だけれども、実際に訪れてみると実にのどかで静かな温泉地だ。ぼんやりしていたら降りる予定の停留所を過ぎてしまったけれど、運転手さんは、どうぞどうぞ、と、なんでもない道ばたでこころよく降ろしてくれた。中心はどのあたりですか、と訊くと、言ってみればちょうどこのあたりが真ん中かな、小さい町だから端から端まであっという間ですよ、と笑った。この町ではじめて接したひとがあまりにのんびりとした様子だったので、なんだか良い予感がした。降りたそこは、ちょうど公共の足湯があるところで、気温計は二度をさしていた。晴れているためか、川を流れる温泉の湯気のせいか、思いのほか昼間はあたたかい。

  

昨夜に急遽決めた宿は、足湯のすぐ近くにある「川湯ホテルプラザ」。いわゆる温泉地の「温泉ホテル」は苦手なのだけれども、ここはそんな先入観をやさしく握りつぶしてくれるような宿だった。平日昼間ということもあって館内は静かで、やっぱりここのフロントの方ものんびりとしていた。知らせていた予定よりもはやく着いてしまったのに、すぐに部屋へ案内してくれて、丁寧にお風呂の説明もしてくれた。建物の古さは否めないが、館内はとてもよく整備されていて掃除も行き届いている。お部屋は七畳間、窓側に板間。修学旅行で泊まったような、ちょっとなつかしい宿。携帯電話を使って検索した予約サイトのクチコミで良い評価だったことと、料金がびっくりするほど安いこと(わたしが泊まったときは一泊朝食付で四千五百円以下!)、ひとり客でもオッケーという情報をたよりにバクチ気分で予約したのだけれども、これが正解だったなということは、これからいろいろなシーンで気づくことになるのだ。

→【川湯温泉】
→【川湯ホテルプラザ】

まだ昼すぎ、一日は長い。荷物を置いて周辺を散策。町の中は硫黄の匂いがしていて、排水溝からは湯気が立ち上っている。青空を背景に立つ白樺の幹がとてもきれい。ここは阿寒国立公園の中にある温泉地。硫黄山摩周湖屈斜路湖など、夏ならハイキングにでかけたいところがたくさん。今は雪に埋もれたアカエゾマツの森も、夏場ならよい散歩コースだろう。陽射しこそ眩しいけれども、冬の空気がピリッと肌を冷やす。アア、北海道だなあ。


 

ホテルに戻り、たのしみにしていた温泉へ。ここのホテルには露天風呂がないのだけれども、内湯は二階建ての広い造りになっている。お湯は強酸性の硫黄泉(川湯ホテルプラザの源泉はph1.73!)で、草津温泉の湯によく似ている。からだに効く、というのがそのツーンとした匂いでよくわかる。お湯の色はちょっと緑がかっている、「明ばん・緑ばん泉」だという。水温によって「低温」「中温」「高温」の三つの浴槽があり、「低温」はプールのように広くて天井も高いのでのんびりと入っていられる。肌の弱いひと向けや湯かぶれ防止のために淡水の真湯もある。すばらしいとしか言うことないね! 効果的に湯治ができるように、と、入り方を指南してくれるガイドブックもあるのだ。

湯あがりでのぼせたからだには浴衣とサッポロクラシック。呑みながら良い気分で窓の外を眺めていたら、湯気が立ち上がっている町の向こうに、遠くの山々がオレンジ色に染まっていくのが見えた。湯治気分でゆっくりするのはずいぶんひさしぶりだなあ。湯からあがってもまだ温泉効果はつづいているようで、体温はなかなか冷めない。

夜、防寒準備バッチリで外出。ホテル経由で申し込みをした「摩周湖星紀行」というバスツアーに参加。添乗員は地元のおばちゃん。このおばちゃんがとにかくよく喋る。ほとんど信号がない国道を走るバスの中で、カレンダーやチラシの裏にマジックで描いた星図を掲げて、とぼけた口調で夜空の見どころを説明してくれるのだ。客いじりをしながら、のどかな気分でバスは暗闇を走る。街頭や信号機はないけれど、空には満月。満月ということは、星を見るには厳しい環境なのだった。まあ、星が見たくてしようがないわけではなく、なんとなしに観光気分を味わいたくて参加しただけなので、別にかまわないのだ。摩周湖を見下ろす山の駐車場に着いてバスを降りると、キャー、寒い! マイナス八度。氷点下とはいってもこの程度なら、今夜はあったかいねえ、というのは、ガイドおばちゃんの弁。「ザ・北海道」だ。

麓は晴れていたのに、摩周湖に近づくとどこからかわき出た雲がすっかり空を覆ってしまった。「霧の摩周湖」らしく霧に包まれたり、雲海の上になることもあるらしい。上を向いたまま星の説明を聞いているうちに、霧が山を乗り越えて凍った湖面にどんどん流れ込んでいった。霧の動きははやい。バスで麓に戻り、なにを植えているのか、一面雪に覆われた畑のそばでまた空を見上げる。ふしぎなことに、麓から見上げると空には雲がない。参加者みんなでいくつかの星を探して、喜び、凍える直前に撤収。バスで戻る最中に、沿道で野生のシカを見た。

バスで足湯のある湯の川園地に戻ってくると、イルミネーションとろうそくの灯りと人だかり。冬恒例の「ダイヤモンドダスト・パーティ」というイベントで、氷点下二十度以下で起こる自然現象ダイヤモンドダストを楽しもうという趣旨のもので、川湯の水蒸気を利用して人工的に手助けをしながら作り出すという。夜空に放たれたスポットライトの光に照らされて、ダイヤモンドダストがきらめく。きれい! でも寒い!


バスの運転手さん、「川湯温泉ホテルプラザ」のスタッフの方々、ガイドおばちゃん、そして冬のあいだほぼ毎日「ダイヤモンドダスト・パーティ」を営む地元ボランティアのみなさん。川湯で接したひとたちはみんなのんびりとしていて、誠実で、おだやかだった。川湯の土地と温泉に誇りを持っているのだろうな。星紀行やパーティで一緒になった観光客も、お互いに写真を撮り合ったり、寒いですねえと言葉を交わしたり、光が見やすい場所を譲りあったり、と、おだやかに過ごしていた。すっかり凍えてホテルに戻るとロビーには温かい唐辛子うめ茶が用意されていた。紙コップを受け取ってお礼を言いながら、ありがとう、旅の神様、と念じた。寝る前にもう一度浸かった温泉は、またわたしをホコホコに茹であげたのだった。


【ミスハタリの道北旅 2008】
1 出発とおみやげ 2 『終着駅は始発駅』 3 帯広「北海道ホテル」 4 蒸気機関車と釧路湿原 5 川湯温泉紀行 6 流氷ノロッコ号 7 札幌「キコキコ商店」番外篇