ミスハタリ 水の旅 7 白馬「倉下の湯」再訪 

サンキュー、大糸線! この、すばらしい映画を一本観終えたような清々しい満足感ったらないね。ここからは電化区域、クハE126系の電車に乗り換え。9:40、南小谷駅発。キハがクハになり、クロスシートロングシートになったところで急に興がさめるのは、キハ偏重主義者にはしかたのないことなのだ。それでも大糸線南小谷以南の車窓には、爽快な夏の朝の青空を従えた南アルプスの稜線がその姿を誇り、堂々とした佇まいに、日焼けの心配も忘れて窓に張りつく。白馬駅着は10時ちょうどだ。ここでいったん下車。降りない人たちは白馬を逃して惜しくないのかしら。本数が少ない大糸線、次の鈍行がやってくるまでは約二時間。この二時間のために、わたしは今朝五時半に起きたのだ、うん、正解。

これまでにも数回訪れてきた白馬駅。いつもは新宿からの通称「山岳夜行」、臨時列車の「ムーンライト信州」でのアプローチなので、ふだんなら早朝に到着して寝ぼけた頭のままにひたすら歩き、八方の足湯で旅はじめの禊をするのが慣わしだけれども、今日の駅前はすっかり賑やかで勝手がちがう。まずは駅前の「白馬宿泊情報センター」で自転車を借りる。レンタサイクル二時間で700円。午前中だというのに陽射しは強く、じりじりと肌が灼ける。麦わら帽子を飛ばされないように片手でおさえながら自転車をこぐ。歩くよりも早いスピードで、川を眺め、橋を渡り、森を抜け、坂道で立ちあがってペダルを踏む。

汗だくになってもいい。だってめざす先にはたっぷりの湯がわたしを待っているから。ジャーン! わたしにとっての白馬といえば、登山でもスキーでもなく、白馬塩の道温泉「倉下の湯」なのだ。

自動販売機で五百円をコインに替えて、改札機のような入口を通って脱衣所へ。十時過ぎているからか先客が数人いる様子。こころのなかでただいまーっと声を上げて風呂の扉を開け、じんときた。半分屋根のついた露天風呂の先には、木々の緑、夏の太陽、そして白馬三山の姿。ああ、再訪してよかった。土色に濁ったお湯はやわらかく、湯舟につかるとからだをすっかり隠してしまう。川のそばで緑の多いなかでの露天風呂なので、頭のうえを蜂が飛んでいたけれど、そんなことは気にしないでいいのだ。湯舟はこの露天風呂のほかには内湯すらない、シンプルな木造の温泉。この湯に浸かりながら、山と青空を見上げるのは四年ぶり(→2004/07/31)。以前にここでふやけたのと同じ時季ということもあり、見える景色、肌にふれる空気、湯ざわりのすべてが「ただいま」だった。やっぱりうれしくて今回も長湯し、見知らぬおばちゃんとこの湯と景色を讃えあう(泉質はナトリウム塩化物・炭酸水素塩温泉だそうです)。

風呂上がりの休憩所の窓から見える景色。露天から見えるのとほぼ同じ。右側の壁の向こうが女湯で、左側が男湯。休憩所には二階もあり、吹き抜けになっているので天井が高く気もちがいい。

 

【白馬塩の道温泉 倉下の湯】
長野県北安曇郡白馬村倉下 電話:0261-72-7989 大人500円/小人300円 年中無休 10:00〜22:00

湯上がりに、ぬれたオカッパ頭のまま自転車に乗る。向かい風と陽射しがドライヤー代わりだ。すぐに乾き、肌に汗がにじみ、じりじりと灼けてくる。そうだ、わたしは知らない町を歩くのがすきだ。地図を見ることもあるし、見ないで勝手に散策することもある。道沿いの看板や青い交通標識や、ときにはバス停や遠くに見える線路だけをヒントに歩くことだってある。列車の乗り換えのあいだの三十分でも一時間でも、ほんのすこしの時間に、そこで暮らしているような気もちになって歩くのがすきだ。名勝も名跡もいらない。二度目、三度目に訪れる町をまた歩くのは、おこがましいけれど、なつかしい気分になる。前に来たときの自分のコンディションを思いだす。それは四年前、ヨーロッパに行く前で、出版社勤めをしていたさいごの夏休み。わたしがとても身軽で、気丈で、負けず嫌いだったころの話。あの夏の朝に歩いた道を、いまのわたしが自転車で逆走している。あのときよりも速い自転車で、振り返る余裕をすこしだけ持ちながら。どんどん更新されていく無謀な旅のなかに、ときどきこんな肯定的な「ただいま」があるから、年月が過ぎるのもまた良しとわたしは思えるのだ。そんなことを肌で感じた、白馬「倉下の湯」再訪の正午なり



【ミスハタリ 水の旅 20080802-03】
0 水と緑と鉄道とわさびの幸福(ダイジェスト) 1 かなわぬ夢、越美南線(長良川鉄道) 2 郡上八幡、河童の飛躍 3 添い遂げゆく水、高山本線 4 猪谷駅の宝物 5 富山「オークスカナルパークホテル」 6 大糸線の恋 7 白馬「倉下の湯」再訪 8 穂高安曇野わさびの風