ミスハタリ 水の旅 8 穂高安曇野わさびの風 

湯上がりの白馬駅をあとに、まだまだ旅はつづきます。

12:26発、大糸線を南下。パノラマを楽しむためか、窓には日よけがないので、どうしたってまぶしい。この区間は「ムーンライト」では寝ているか寝ぼけているか、いずれにせよカーテンを開けるには早い午前五時ころの通過なので、はじめての景色がつづく。とはいえ、登山客で混みあう雰囲気に落ち着かないのと、早起きの代償ともいえる眠気に負けて、両耳に音楽を流しながら眠ってしまった。ずっと耳に流れこんでいたのは、高木正勝『Private/Public』。

Private/Public

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13:43、穂高駅到着。穂高は特急が停まるとは思えない、ホームは島式一面二線、じつにのんびりとした駅だった。ここで下車をして、次の鈍行を待つと、この先の帰りみちがすこし厄介になってしまう。午後九時には吉祥寺に着かねばならない、時刻表をめくって出てきた答えは「特急ワープ」。鈍行のひとつ前にやってくる穂高駅15:23発の「特急あずさ26号」に飛び乗れば、松本駅からの鈍行接続がぐんと楽になる。こうして時刻表と組み合いながらパズルを解くように旅路を決めるのがすきだ。穂高での滞在時間は二時間もない。このすきっ腹を信州そばで満たしたいし、はじめて訪れる穂高安曇野を散策したいし、わさびだってほしい。やりたいことは盛りだくさんで、時間が足りない。無茶だろうが迷う間はない、イエス、もちろんぜんぶやるに決まってる! ハタリ旅日記を読んだひとから「ひとり旅なんですか?」と訊かれることがあるけれども、こんな旅、いったいだれが付き合うっていうんだろう。旅のほとんどに道連れはなし(ここ数年で唯一同行しているのはママハタリくらいで、それは「旅」ではなくて「旅行」になります)、わたしはわたしを背負うばかりだ(もちろん希望する方がいればやぶさかではないけれど、朝の六時ころから走ったり跳んだり風呂に入ったり、そうかと思ったら七時間列車に乗りっぱなしだったり、そういう旅路になるのは必至です)。

まずは穂高駅からほど近い「そば処 一休庵」でお腹を満たし、駅前の「ひつじ屋」で自転車を借りる。レンタサイクルや荷物預かりだけではなく、カフェやギャラリーもある店内はにぎやかで、とてもかわいい。安曇野への引越し相談にものってくれるという。ひつじ屋オリジナルの手描き安曇野サイクリングマップをいただいて、急いでサドルにまたがる。駅前の通りを、この旅で三度目の「よさこいソーラン」が占拠していたので、ぐるりと迂回してはじまるサイクリング。畑を超え、水田を眺め、いくつかのわさび園を過ぎ、道祖神に会釈をし、いちもくさんに目指すは「大王わさび農場」。パン屋や温泉やカフェなど安曇野には気になるところが多いけれど、時間がないいま、優先すべきは「わさび」。唐辛子はてんで苦手なわたしだけけれども、そばに、刺身に、牛肉に、うなぎに、こんにゃくに、アボカドに、涙が出るほどたくさんの「わさび」をのせて食べるのが好きだ。

自転車で田園風景を走る。地図を見る余裕がないので曲がり角に立てられた木の案内板だけをたよりに、立ちこぎで先を急ぐ。万水川(よろずいがわ)を渡る。ここもやっぱり水の町だ。じりじりと肌が灼けていくのがわかる。勢いよく走っていたら、交差点で方向をまちがえてかなりのタイムロス。ようやくたどりついた「大王わさび園」はわさびのテーマパークだ。

園内には広大なわさび園があり、高地で水が豊富なためか、日影の空気は瑞々しく、風が肌に涼しい。真夏なのに水辺では、あじさいが咲き誇っていた。

蓼川沿いにある水車小屋は、黒澤明『夢』のロケ地となった、ちょっとした見どころ。ゴムボートに乗って流れることもできるという。日曜日の午後の蓼川にはいくつものゴムボートが浮かび、まるでディズニーランドのよう。

 

「わさびピザ」や「わさびソースかつ丼」「本わさび丼」などを出す食堂や、わさびジュースなどの小屋がある。苦手なひとには罰ゲームだろうが、わさび好きにはどれも興味津々。時間が無いので早足で雰囲気を味わい、お土産に、わさび葉の醤油漬けと、わさび豆を買う。わさび豆は、ビールにも焼酎にもよく合う、すばらしいつまみです。

屋外の売店で、八百屋のオッチャンに誘われるがままにネクタリンを試食したところ、試食の域をゆうに超える量のネクタリン、白桃、プルーン、ブルーベリーをごちそうになり、ほんのすこしだけのお金を置いて、プルーン十個とトウキビ一本を連れて帰る。タイムリミットまであとすこし!

駅まで急ぐ帰りみち、立ちこぎで自転車を走らせていると、ふと目に入った、圧倒的な、夏の風景。時間がないのに、問答無用で引き止める、その堂々とした姿。

発車五分前、駅前の「ひつじ屋」到着。急ブレーキで自転車を停めて、そのまま駅窓口まで走っていって特急券を買い、「特急あずさ26号」に飛び乗った。脱水気味でさすがに息が切れる。ちょっとむちゃをしすぎた。混み合う車両のデッキ部分で水を飲み、プルーンをひとつ食べた。

15:43、松本駅着。15:54発の中央本線小淵沢駅行きの鈍行に乗り換えて、あとはゆっくり東京へと戻ります。

たくさんの夏を両手いっぱいにかかえて全速力で走り抜けた、一泊三日の「水の旅」。肌に無防備な日焼け跡を残した今年の夏。また好きな風景がふえました。


【ひつじ屋】 長野県安曇野市穂高5951-1(JR大糸線穂高駅前) 電話:0263-82-3888
【大王わさび園】 長野県安曇野市穂高1692 0263-82-2118




【ミスハタリ 水の旅 20080802-03】
0 水と緑と鉄道とわさびの幸福(ダイジェスト) 1 かなわぬ夢、越美南線(長良川鉄道) 2 郡上八幡、河童の飛躍 3 添い遂げゆく水、高山本線 4 猪谷駅の宝物 5 富山「オークスカナルパークホテル」 6 大糸線の恋 7 白馬「倉下の湯」再訪 8 穂高安曇野わさびの風