散歩にはコーヒーとおしゃべりと猫がつきもの 大阪天満橋〜中之島

「旅と喫茶とカレーと日常 モハキハ(→)」というお店をはじめるようになって、月よう日から木よう日まで、ほとんど散歩をしなくなった。自宅からモハキハまでは歩いても五分ほど、その短い距離すらも荷物の多さを理由に自転車で往復するようになってしまった。運動不足も問題だけれども、身体だけでなく気もちまでむずむずするのです。木よう日の午後にコーヒーを飲みにいらしてくれた、毎週金よう日にお世話になっている接骨院の先生にそう話したところ、「おもい立って急に大阪城公園を走ったりしないでくださいね、四十分間歩くだけでいいんですから」とのアドバイス。身体に篭もった熱を逃がすには適度な歩行が大切なのだという。

モハキハが休みの金よう日、午後二時半に谷町を出発。今日はぞんぶんに町を歩く日と決めたのだ。

天満橋の駅を通りすぎて大川を渡る。町の真ん中に大きな川が流れているというのが、大阪を気に入った理由のひとつだ。都会の川は幅広いほうがいい。できれば河口まではすこし遠く、海は見えなくていい。晴れた日は穏やかに水面が光り、嵐の日にはすこし不安になるくらいに濁流となる。それは多分に、わたしが札幌出身で、十代のある時期を豊平川そばで過ごした記憶によるえこひいきなのだとおもう。橋の上から大川ごしに町を眺めるのがすきだ。西を向けば広い空と思いのほか低い建物の姿が逆光となり、東を向けば京阪電車のツートンカラーの車両が走っていく背景にいくつかの高層ビルが、その奥に生駒山のシルエットが浮かんでいる。八軒家浜を出て大川を舟でめぐる「御舟かもめ(→では、もうすぐ桜シーズンのクルーズがはじまるという。三十石舟の気分を味わえるかな。


昨年の四月に、遠征でも出張でもなく、はじめて日常として大阪を訪れたとき、大川沿いには桜が舞っていた。そのときと同じように、橋から南天満公園に下りて川べりを歩く。桜のつぼみは支度中。

この公園のすぐそばにある「喫茶星霜(→)」。川を渡るとつい足が向く。いつ訪れても安心できるお店を知ったというのも、大阪を好きになった理由のひとつかもしれない。星霜ブレンドで休憩。こちらのコーヒーはご近所の赤い実さんによるオリジナルブレンド。わたしがいつも好んで買っている豆とは趣味はちがうけれど、ていねいに淹れられたコーヒーを飲んでいると、こころのなかで波立っていた些末なあれこれが静かになっていくような穏やかな気分になる。モハキハでも、こんなふうにコーヒーの魔法をかけられるようになりたい。次から次へとお客さんがやってくるので、早々にモハキハのごあいさつだけを残して店を出た。今日もおいしかったです、ごちそうさまでした。

【喫茶星霜】


これまでに何度もご紹介しているので過去日記をどうぞ。すてきなお店です。
☆ 2009年6月30日の日記
☆ 2010年2月1日の日記
http://d.hatena.ne.jp/kissa-seiso/

星霜さんを出て一本裏の通りにある「dieci(→)」へ。

自転車だとここからそこへの移動は速いけれども、止まって降りて停めて鍵をかけてという作業がめんどうになって、気になる景色を素通りしてしまうことがある。散歩のすてきなところは、より道に前向きになれることだ。dieciは一階が北欧や国内の作家の作品を中心にセレクトした雑貨店、二階がカフェになっている。雑貨を眺めていたら棚の上に見知った顔の猫がいて、あっと声をあげてしまった。ちょうど近くにいた店の方に向かって、つい「この猫、うちにもいるんです、でも真っ黒じゃなくて首もとが白いんですけど」と話しかけてしまった。

それはスウェーデンの陶芸家Lisa Larsonの猫。大阪で出会ったぎんちゃんとみっちゃんというキュートな友人たちからの贈りもので、我が家の「黒と白の猫」によく似ている。そんなことを話したあとに、ふと入口を見ると猫用の水とえさの皿が並べて置かれていた。「わっ、猫がいるんですか」「うふふ、のら猫ですけどね」。ざんねんながらわたしがdieciにいるあいだにはのら猫は姿を見せなかったけれど、猫がいるという気配だけでずいぶんと幸福な気もちになった。そしてお店の方と交わしたすこし長いおしゃべりのあいだに、同じドーナッツドリッパーを使っていること、カレーのお皿にすてきな候補が挙がったことなど、たのしい発見があった。

お彼岸が近く、町は夕方になっても明るい。ずんずん歩いて中之島へ。

 

公会堂は卒業式典でにぎわっていた。このあたりも散歩のたびにより道してしまう界隈。幅広い石畳の通りを黒い猫がタタタッと駆けていった。

姿勢を低くして近づいてみると、愛想も拒絶もないのら猫としてとてもフラットな態度で見返してきた。猫のこういうところが好きだ。

肥後橋まで歩いてからうつぼ公園。ここの小山にも猫がたくさん住んでいる。黒、黒、黒と白、茶縞、茶。公園を北側から入って南に抜ける。ここの猫はみんな丸々としていた。公園に植えられているたくさんの種類のバラの枝はきれいに剪定されて次のシーズンが来るのを待っている。公園の主役が代わろうとしている。


まだ午後五時だというのにタケウチは完売で店じまいをしていた。チョコチップとオレンジピールのベーグルのことばかりを考えていたのだけれども、歩みは止めずに四ツ橋筋を東に渡って「Painduce(→)」へ。バタール一本、じゃがいもとれんこんが練りこまれたパン、セミドライトマトのフォカッチャ。南に歩いて船場で買いもの、長堀通を歩いて谷町へ戻る。

午後六時半、接骨院のベッドにうつぶせになりながら、今日歩いたルートについて話した。「休憩のぞいて三時間…急にたくさん歩きすぎるのも」「それについては反省しています」。身体はあたたまり、気分は晴れていた。散歩、やっぱり大切だ。わたしには自転車のスピードは必要ないのかもしれない。

コーヒーとおしゃべりと猫、三題噺の散歩となりました。

三月の京都一乗寺散歩

目覚めるとくもり空の日が増えて、台所の窓辺で朝日を浴びるのが午前八時の日課だった猫がつまらなさそうな顔でふとんに残ってふて寝をし、洗濯ものを屋上に干してでかけた数時間後に走って戻ってくる、そんな日常に春の近さをかんじます。早起きした日よう日、コーヒーを飲みながら、今日の予定を考える。すこし遠くの大阪、北摂、奈良、神戸、いまから列車に乗ればどこにだって行ける。有次の包丁を砥ぎに出したかったので、京阪に乗って京都へ行くことにしました。

環状線京橋駅で京阪に乗り換えます。京阪のツートンカラーの車両がかわいい。特急でぐんぐんと飛ばして終点の出町柳まで。ここで叡山電鉄に乗り継いで数駅の一乗寺へ。

 

一乗寺では宮本武蔵の下り松を見たり、曼殊院へ向かう途中にあるパン屋「ORENO PAN okumura」で数量限定という一個三百円のクリームパンを食べながら歩いたり。自家製のカスタードクリームはよく冷えていて生菓子のよう、貴族の味がしました。ふわふわの角食は軽くトーストしてバターなしで食べるのがおいしい。一乗寺祇園にあるレストラン「okumura」のブーランジュリなのだそうです。


【ORENO PAN okumura】
京都市左京区一乗寺谷田町5 電話 075-702-5888 9:00〜17:00

京都の北のほう、一乗寺に行く理由といえば京都老舗セレクト本屋の「恵文社」さん。雑誌編集者時代、それから数年前に作ったフリーペーパーや「座頭市映画手帖」を扱っていただいていたりと、長くお付き合いしてきたのに、お店を訪ねる機会がなかったこの十年。ずっと思っていたよりも、それ以上に魅力的なお店でした。時間はあっという間に過ぎていきます。ここでは小沼丹『懐中時計』の文庫を買いました。ほんとうは最初、その隣に置かれていた函入りの『黒と白の猫』を手に取ったのだけれども、表題作「黒と白の猫」がこの文庫にも入っていたのでよしとしよう。

黒と白の猫

黒と白の猫

それから「Forest & me」という旅関連のミニコミを購入。群馬県の北軽井沢の森のなかにあるブックカフェ「アトリエ麦小舎」さんで作られているそうです。ハタリブックスの半分は鉄道と旅で占められていて(もう半分は音楽と座頭市)、「旅と喫茶とカレーと日常」と冠したお店「モハキハ」をひらいたこともあって、モハキハ発信で旅と散歩のミニブックをつくろうと考えていたところだったので興味深く読みました。旅好きなミスハタリはいかんせん信州贔屓なので、信越本線や下諏訪が取り上げられているのがうれしい。ああ、大糸線飯山線に乗って山にやってくる春を訪ねる旅がしたいなあ。

出町柳に戻り、京大近くの進々堂で休憩。

ここのミックスサンドは、「喫茶店でサンドイッチが食べたいな」の気分をあらゆる方向から満たしてくれる。歴史と自信のサンドイッチ。創業八十年なのだそうです。

それからしばらく散歩。

床屋の前でしま猫ツインズに出会う。

午後六時を過ぎていたので錦市場は店じまい。ざんねんながら柚子こしょうも、じゃこ山椒も、磯寿司も、有次で包丁を研いでもらうこともかなわなかったけれど、春のたのしい半日散歩となりました。

モハキハはじめます

とつぜんですがお店をはじめます。名前は「モハキハ」といいます。場所は大阪、玉造と谷町のあいまの穏やかな住宅地のなかです。「旅と喫茶とカレーと日常」がテーマです。お近くのかたは日日の休憩に、遠くの方は旅こころをもってあそびにいらしてください。

旅と喫茶とカレーと日常 モハキハ

三好銀さんの漫画のことや、四天王寺の骨董市のことや、さいきん観直しているショーン・コネリー主演の初期『007』のことなど、書きたいことはいろいろあるけれど、ここさいきんはカレーと喫茶と家事と猫の相手にパタパタしています。





二月で季節がひとまわりした猫を、トイレからのぞむ朝。


これから育っていくモハキハのことも、どうぞ宜しくお願いします。
ミスハタリ拝

天満、冬の散歩道

さいきんのミスハタリはなにをしているかと言うと、マフラーをぐるぐる巻きにして谷町から心斎橋まで歩いたり、谷町のケーキ屋で甘い匂いに囲まれていたり、『かいじゅうたちのいるところ』を観たり、年明けにいただいた自転車で谷町から中崎町まで走っていったり(あたらしい名刺は藤衣真菜ちゃんによるデザイン、JAM印刷で画用紙に刷ってもらいました)、パンを焼いたりジャムを煮たり(そういう趣味ではなくて生活の一環として)、猫と並んで床に転がったりしています。

冬ですね。

 

中之島のあたりは用がないのにふらりと歩いてしまうエリア。用はないはずなのに、やはりその建物を見上げていると、公会堂や図書館に立ち寄ってしまいます。

西天満の老松通界隈には骨董品屋が多い。こういうところにはきっと猫がいる、と思ったら、やはり路地に黒猫。あいさつしたら長話になってしまった。そのうちに背後からしま猫。二匹はとても仲良し。ここでのんびり十五分。

 

黒猫の太いしっぽに、奥までおいでと促されて進むと、白いビルの入口に「白灯」という文字があった。階段を上がった先に白いスリッパが並べられている。すなおに靴を脱いでスリッパにはきかえて扉を開けると、決して広くはない店内に布小物や雑貨がぽつんぽつんと置かれている。こんにちはとあいさつをして入る。二十歳そこそこのころ、はじめての海外旅行で訪れたパリで、「お店に入ったらまずボンジュールと言いましょう」とガイドブックに書かれていたとおりに大学の第二外国語の授業で習った発音を思い出しながら言うと、ちゃんとあいさつが返ってきたことに慣れない旅行者だったわたしはとても感動した。それ以来、外国でも日本でも近所でもどこでも、わたしは最初に「こんにちは」と言うようになったのだけれども、そうすると、そこがはじめての空間であってもお店のひとはたいていやさしい。色白の女の子であるところの店主の方はあたたかい暖房のせいか頬をピンク色に染めて、穏やかな声で「こんにちは」と応えてくれた。そこで黒としまの猫を見たんです、と言うと、彼らは兄弟でいつもくっついているんですよと教えてくれた。この界隈のひとたちは外猫にやさしいので、無事に暮らせているのだという。

気になるものはいくつかあって、それは商品だけではなく板の床に白いチョークで描かれた値段だったり、床でゆらゆらと揺れるキャンドルの炎と穏やかな香りだったり。壁にかけられていた片面がガーゼ素材のタオルにこころを奪われる。たたみのうえに布を広げては、はしゃいでもぐりこんでくる猫と格闘しながら、せっせとカーテンやエプロンやぞうきんを手縫いしているさいきん。ガーゼの肌触りは魅惑的。ああ、近所にユザワヤがほしい(大きくて便利だった吉祥寺店は閉じたそうですが)。

【白灯】 大阪市北区西天満4-5-25 北老松ビル2F201号室
http://hakutou73.exblog.jp

その日はとても暖かくよく晴れた日で、手袋もマフラーも必要なかった。冬の長い夕暮れにかかるすこし手前、午後三時すぎ。陽射しはやさしく、そしてわたしの気もちはすこし落ちこんでいた。南へと橋を渡る前に、左により道。大川沿いの南天満公園に面したところに「喫茶星霜」はあります。


【喫茶星霜】 大阪市北区天満4-1-2 天満佐藤ビル1F
http://d.hatena.ne.jp/kissa-seiso/

家から歩いてふらりと寄るというのには遠いのだけれども、大阪の町にある好きな空間のひとつ。新しい町を知るための方法のひとつに、「散歩の休憩には好きになれそうな佇まいをした喫茶店やカフェに寄る」ことがあるのだけれども、喫茶星霜は、散歩のついでだけではなく、そこに行くために寄ろうという気もちになる空間。水曜日の午後三時半、店内のテーブルはほぼ埋まっていたけれど、とても静かで穏やかな空気が流れていた。コーヒーではなく(上町「赤い実コーヒー」によるオリジナルブレンド、ちょっと浅煎り?)、紅茶を頼んだら、やっぷり入ったポットに、リネンとガーゼ(ここでもガーゼ!ラブ!)の二枚傘ねのティーコゼがちゃんと付いてきて、「ミルクティにするときは先にミルクを注ぐといいです」と教えていただいた。店主の方の人柄、店内を飾る雑貨や調度品のセンス、ひとをもてなすということをよく知った接客、そのすべてが気持ちよい。午後の陽射しが夕方を連れてきて、古い木のテーブルのうえに真白い紙を広げたら、するするとアイディアが浮かんできて、わたしは鉛筆で落書きをしながら、近いうちに旅と散歩と暮らしの本をつくることにきめた。

店を出て自転車に乗って川を渡る。あたまのなかに「いまやりたいこと」が満ちているときがなによりしあわせだ。それが本の編集であれば台割を作るとき、お店を開くならコーヒー豆や椅子のことを考えているとき、それが今日の晩ごはんであれば冷蔵庫の中身を思い出しながら献立を考えているとき。たいていは夕暮れとともに、幸福な思いつきがやってくるものです。

そんなふうにして一月は過ぎました。二月は「旅とカレーと喫茶と日常」を大切にしたお店と本をつくるよていです。

<おしらせ>
ハタリブックス・ウェブサイト、リニューアルしました(2010.02.01)。
http://www.hataribooks.net/

リズミカルな絵本 ハンス・フィッシャーの世界展

晴れた日よう日、「ハンス・フィッシャーの世界展」を観に、伊丹市立美術館へ。

JR伊丹駅で降り、家族連れでにぎわう通りをしばらく歩く。酒造の町として栄え、その酒蔵建築などが残る「みやのまえ文化の郷」のなかに伊丹市立美術館はあった。さほど大きな建物ではないはずなのに、白い壁と高い天井、中庭が開放的で、ゆったりと展示を見てまわることができる。二階と地階を使い、『メルヘンの絵本』『ブレーメンのおんがくたい』『いたずらもの』『たんじょうび』『こねこのぴっち』『るんぷんぷん』『長ぐつをはいたねこ』などの原画や版画、初版本、子どもたちに贈った手製の絵本など、約250点のにぎやかな展示!


【ハンス・フィッシャーの世界展】 
http://www.artmuseum-itami.jp/2009_h21/09hans.html

「こねこのぴっち」「たんじょうび」「ブレーメンのおんがくたい」「長ぐつをはいたねこ」など、楽しい絵本で子どもたちに愛されている絵本作家ハンス・フィッシャー(1909-1958)。

スイスのベルンで生まれ美術学校で装飾画・版画を学んだ後、パリに渡り働きながら絵を学びました。帰国後、ショーウィンドウの飾り付け、舞台美術、新聞のカットなどいろいろな仕事をしましたが、もともと体があまり丈夫でなかったため過労で倒れてしまいます。療養を兼ねて家族と共に郊外に引っ越し、釣りをしたり植物のスケッチをしたり、子どもと遊ぶなど静かな生活を送るなか、長女ウルスラのために描いた「ブレーメンのおんがくたい」で絵本が自分の芸術を表現するのに最適なものだと感じました。その後、長男カスパールには「いたずらもの」を、末女アンナ・バーバラに「たんじょうび」と「こねこのぴっち」を作りました。
伊丹市立美術館ウェブサイトより)

一枚の絵のなかで物語が完結する『メルヘンの絵本』シリーズは、物語から一部を抜粋して絵で語るヨーロッパの伝統的な手法。『ブレーメンのおんがくたい』など、ハンス・フィッシャーが世界中の子どもたちに遺した絵本は、そもそもは彼の三人の子どもたちに贈られたプライベートなものだという。ハンス・フィッシャーの手づくりによる絵本の出来栄えを見ると、彼が愛情深い画家であったとともに愛情深いパパでもあったのだなと感じられる。愛情とは、はじまりはごく私的なものにすぎなくても、なんと強い力をもつのでしょう。

会場の壁面を使って、絵本の「絵」と「物語」がページごとに展示されていて、じっくりと絵本を読むことができる。子どもでなくてもついつい口に出して読み上げてしまう、軽快でかわいい物語。『ブレーメンのおんがくたい』の展示室では、にわとりやロバや犬や猫がわめくように、チビッコが鳴きまねをしているのがやかましくほほえましい。

1950年代に描かれた『長ぐつをはいたねこ』は、それ以前の細い線と水彩の画風とはちがい、力強くユーモラスな絵。子どものころに読んでいた名作は、シンプルながらもよく練られた起承転結、「メルヘン」の偉大さに驚く。「ねこ」が長ぐつをはいて立って歩く努力をしたり、鏡の前でいちばん怖い顔を練習する、その努力のエピソードは、後年のわたしたちはハンス・フィッシャーの苦悩のあとに重ねてしまうのだ。ちろん、表向きの絵にはそんな苦渋はみじんも感じられない、明るく楽しい絵ばかりなので、子どものころはそんなことには気づかなかったのだけれども。練習描きのようにひたすら並べられた「ねこ」の顔が柄になった、『長ぐつをはいたねこ』の愛蔵版(フランス語版、ドイツ語版)がかわいい。

かしこい犬と、ちょっとまぬけな猫二匹が奮闘する『たんじょうび』。その絵本のさいごのページでは、屋根裏部屋で生まれた四匹の子猫のなかで、夜になっても眠らない一匹の猫がいる。それが「ぴっち」。「どうしてこの子は眠らないんだろう」とふしぎに思った末娘アンナ・バーバラに、続篇といえる『こねこのぴっち』が贈られたのだという。


(うちのねこは黒×白ですが、鼻のあたままで黒いので「ぴっち」ではありません。生後半年くらいまで心配になるほど細くて小さくてよく動いて声だって高くて、メルヘンを絵に描いたような子猫だったけれども、いまではたまに野太い声を出すし、ひざのうえに乗られてしばらくすると足がしびれるほど立派な子になりました。ちなみに名前はパトといって、来月の誕生日ではじめて四季がめぐります)

生誕百年を記念した『ハンス・フィッシャーの世界展』は三月七日まで。フィッシャー家のプライベートな愛情があふれる作品の数々(ハンス・フィッシャーが、自分、妻、三人の子ども、猫の暮らしを一枚の絵に描きこんだドローイングもあった)。展示方法はいたって素朴、キュレイターや企画側の愛情が深い、とてもていねいな展示でした。遠くからでも行く価値はじゅうぶんあると思うよ。

【ハンス・フィッシャーの世界展】
http://www.artmuseum-itami.jp/2009_h21/09hans.html
伊丹市立美術館 2010年1月16日〜3月7日まで

ブレーメンのおんがくたい (世界傑作絵本シリーズ)

ブレーメンのおんがくたい (世界傑作絵本シリーズ)

たんじょうび (世界傑作絵本シリーズ)

たんじょうび (世界傑作絵本シリーズ)

こねこのぴっち (大型絵本)

こねこのぴっち (大型絵本)

長ぐつをはいたねこ (世界傑作絵本シリーズ)

長ぐつをはいたねこ (世界傑作絵本シリーズ)

せわしなくて緻密 「Max Tundra JAPAN TOUR」

大阪ではライヴハウスやクラブよりも、カフェやピザ屋や美容室でライヴを観ることが続いたので、ライヴハウスに行くのは新鮮。暗く殺風景な大阪駅の北側、JR貨物梅田駅の構内に積まれたコンテナを眺めながら(大阪は町の中心地に貨物駅があってすばらしいね)、梅田Shangri-Laへ。数日間つづいてきたMax Tundraのツアー、大阪場所にはマックス・ツンドラとSPACE PONCHとrei harakamiの三組が出演。遅刻してスペースポンチを見逃し(ギャー!)、岸野雄一さんはすでにレーベル社長の顔をして物販の机の前。「いま三曲目がはじまったところ」と聞いて、あわあわとフロアに入り、ビールを注文。

【Max Tundra JAPAN TOUR】
http://www3.tky.3web.ne.jp/~gamakazz/max/index.html
http://d.hatena.ne.jp/htr/20100107#p1

マックス・ツンドラ、事前にすこしだけ予習をしてはいたものの、そのステージは想像以上にポップでキュートで、複雑だった。おでこの広いおっさん(と呼ぶには若いかな)が、ステージ上にキュッとコンパクトに寄せ集めてセッティングしたキーボードやギターやなにやらいろいろの機材、ピアニカ、小さい木琴(鉄琴?)、笛などを、いそがしく持ち替えて演奏する。曲にあわせてダンス、曲にあわせて観客を煽る。自分で作った曲、自分で演奏している音楽なのに、自分がいちばんのファンのようで、ひとりで何役も演じているかのよう。そのパフォーマンスは奇怪にも見えるし、キュートにも見える。ついつい目を奪われるけれど、根底のトラックはまじめなテクノぶりを発揮し、トップに現れるアイディアのヴァリエーションが豊かで、エンターテイナーとしての誠実さと引き出しの多さに感動。

ときどき、ひとりの身体をもちながら三人ぐらいの人間がぎゅうぎゅうに詰め込まれたようなひとに出会うことがあって、そういうひとはたいてい過剰で、せわしなかったり、異常に饒舌だったりして、まあ、一見そんなようでいてそう見せたいだけのニセモノも多い世の中ではあるのだけれども、マックス・ツンドラは明らかにひとりの身体には収まらないだけの欲望と欲求と思いつきにあふれていた。そしてひとつひとつの手仕事は実に丁寧。緻密な打ち込み、きれいなメロディ、ユーモラスなアクション、わたしたちを踊らせるパッション。ブリリアント! 出会えてよかった。

Parallax Error Beheads You

Parallax Error Beheads You

さよなら、ありがとう、いってきます 〜THE MICETEETHの「点と線」

代官山UNITにて、タワーレコード三十周年記念イベント「Love or Hate Night Vol.2」。昨年四月に解散を発表したTHE MICETEETH.が一夜限りの再結成、いわば解散後の「解散ライヴ」。フロアはぎゅうぎゅう詰めで、たくさんのひとがバンドの登場を心待ちにしていた。期待をあおるジングルと、過去の「No Music No Life」のコマーシャル映像が流れて、メンバーが登場し、楽器を構え、ライトが当たる。さいしょの音が鳴り、ライヴがはじまる。

1 Tomorrow More Than Words / 2 Sleep on Steps / 3 夜明けの小舟 / 4 ネモ / 5 Salvia / 6 霧の中 / 7 ゴメンネベティ / 8 レモンの花が咲いていた / 9 THE SKY BALL / 10 春のあぶく/ encore01 トルキッシュコルト / encore02 Rainbow Town

最初はびっくりするくらいに緊張していたステージも、「ネモ」あたりから雰囲気が緩んできた。アイコンタクト、ときどきもれる笑顔、何度も口にされる「ありがとう」。ていねいに演奏された十二曲。イントロが流れるたびにフロアから歓声があがっていた。ベスト盤のような演目に、長年(とくに初期)のファンはなつかしくうれしくかったのではないかとおもう。フロアでは、仲間に入りたそうな顔をした男の子が飛び跳ねている。じっと立っている女の子は恋をしているかのようなまなざし。

わたしがマイスティースの存在を知ったのはごく最近のこと(その顛末は→☆ 2009/12/01の日記)。そのときにはもうバンドは活動を休止していて、しばらくすると解散してしまった。それから何枚かのCDと映像をくりかえし再生し、どんな音楽か知りたいと思った、さわりたいと思った。音は記録として残るけれども、感情の記憶は薄れ、じょじょに消えていく。ときどき耳にする九年間の小噺やエピソードに、笑ったり、感心したりしてきた一年間。長い蜜月が終わり別れた恋人たちが、こっそりと恋ごころを持ちつづけ、いつかどこかで会うことがあるかなと期待しながらも、二度と人生を重ねることはないとわかっている、そんな感じに似ているのかしらなんて邪推したりしていた。

はじめて観たマイスティースは、想像していたとおりに「バンド」だった。わたし自身、個々のミュージシャンが集まってきて演奏するセッション型のパフォーマンスを観ることが多いからなのか、「The Miceteeth」の五人(金澤くん、和田くん、次松くん、藤井くん、森寺くん)の「九年間かけていっしょに育ってきたバンド」の姿は大家族の兄弟や近所の幼なじみ集団のように親しげなもので、音と感情がとても近いところでやりとりされているように感じられた。その生々しさがある一方、休止から解散後にかけて、それぞれに別の時間と音楽体験が流れていた事実があって、ずいぶん音楽的にも変化していたのだろう。外野から見てみれば、ドラマチックな舞台でもセンチメンタルな感情ばかりでもなく、実にちょうどいい時間と距離を経た「解散後の解散ライヴ」となっていたようにおもう。

青春と呼ばれる時代はとても短く、薄れ消えて、いつか必ず終わる。二十代は十年間でしかないし、三十歳になっても日日はつづいていく。マイスティースというバンドがあったということは事実で、けれども「さなかからかなたへ」、ひとりひとりはそこからすでに離れているということを実感できる場だった。別れはいつもセンチメンタルなだけではないのだ。だからきっと、解散後にこうして呼ばれる機会があって再結成し、照れくさそうに登場した彼らは、「さようなら」ではなく「行ってきます」と言いたかったんじゃないのかな。

この夜のライヴは、三月にライヴ盤『20100110』として、またベスト盤『WAS』がリリースになるそうです("I was The Miceteeth.")。撮影もしていましたね。
http://bls-act.co.jp/news/1283

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