htr2003-07-20

いよいよ「青春十八きっぷ」の季節到来。朝九時の中央線下り列車がわたしとホリデー気分をボックス席に乗せて出発のベルを鳴らしたらささやかな夏休みのはじまりです。相変わらずの曇り空に一抹の気の迷いを残しつつも、ひとり旅の道連れは「えびせんべい」と『内田百輭集成六 間抜けの実在に関する文献』(ちくま文庫)。大月を過ぎたあたりで空が晴れ、山梨と長野の県境を過ぎたあたりで雨が降り出した。起承転結を忘れた汽車の旅は七時間もつづき、少し寝ていたあいだに駅看板がオレンジ色の「JR東海」に変わっていておどろく。伊那郡宮田町ってここいったいどこなのよ! とにもかくにも「開/閉」ボタンを押してドアを開けるワンマン二両編成の飯田線は当然単線なわけで、やや鉄キチ入っているわたしの心は浮き足立っていったのです。

窓の外には雨雲に煙る南アルプスの山並みと緑色の水田、その景色をみて「田舎だ」と思うのはなぜか。わたしは北海道の羊蹄山麓の村で生まれ、たしかにそこは山に囲まれた小さな集落だったけれど、そもそも突発的に産気づいた母親がつい町立病院でわたしを産んでしまっただけなので、その生後二週間足らずの滞在のくせに山の景色に懐かしさを感じるなんてどうも恐れ多い気がする。幼年時代から高校時代まで山男である父親に連れられて羊蹄山周辺をうろついたことが多々あったので、多少の親しみを持っているというくらいなら地元のひとに叱られないだろう。だがしかし、そこには山があっても当然北海道と信州では植生も違うわけで、さらにいえば羊蹄山麓の特産は「喜茂別メロン」と「じゃがいも」だ。水田の記憶などこの頭のどこにあるというのか。にもかかわらずはじめて見る信州の山景色を「アア、田舎だなあ」と思ってしまうのは本当におこがましいし不思議な話だ。造られた「田舎」のステロタイプ。きっとこの四割ほどは「トトロ」のしわざにちがいない。

長野県飯田を訪れたのは渋さ知らズの野外テント公演「天幕渋さ 波乗り山脈」を観るためだ。天竜川沿いの原っぱに「野沢菜土産センター」がぽつんと建っている夕暮れ時の景色になんでまたこんなところにひとりで来てしまったのだろうと気が遠くなったけれど、見世物小屋のなかで繰り広げられる混沌とした世界に入り込めば山梨より長野よりどこかもっと遠くに連れ去られたようで夢中になった。たいへん面白かったです。四時間に渡る演奏に加え、他の大オーケストラでは見られない舞台装置がてんこもり。白塗りチアガール伊豆の踊り子うんこ君昆布クレーンに吊られる女花火巨大蝶巨大ステンドグラス渋龍ウォータースライダー空中自転車空中サーフボード火を吹く男たちもえあがる炎…。夢に出てきそうなめくるめくイメージと、音の洪水、とくに渋さの音を膨らます勝井さんのヴァイオリンとかヒゴさんのベースとか、高岡さんの低音チューバや泉さんのサックスなどなどがつねに予想外の音をドコドコ生み出していくのが愉しかった。すばらしき幸福な祭。素人がステージに上ることもなく非常に気持ちよく宴は終わった。午後十時半、気づけばテントの外には雨が降っていた。今夜のためだけに作られたテントの解体作業を眺めていたら子供の頃の神社祭りの最終日の物悲しさを思い出した。不破さんに「たのしかったですー」と挨拶してから退散。ここのところの不破さんはずいぶん調子がいいみたいで非常によかった。今夜の宿である健康ランドに向かおうとするもスタッフのお兄ちゃんに「徒歩じゃ無理です」と引き止められる。飯田駅行のシャトルバスの運転手さんに路線変更を頼み込み、無事健康ランドへと送り届けていただいた。

バイパス沿いの健康ランドはよろしい感じに鄙びていた。一応「天然温泉」と銘打っているらしく湯にとろみがあった。「火男」や「ナーダム」などで久々にスパークした汗臭いからだをきれいにして、仮眠室の椅子で眠る。が、厄介な迷惑者の独り言せいでなかなか寝つけず。深夜料金と延長料金含めて都合二千四百円。雨の中野宿するより随分ましだ。