htr2006-01-10

平岡正明さんの『昭和ジャズ喫茶伝説』(平凡社)はひとつの青春小説だ。わたしにとって平岡さんは、あこがれのアイドルであり、市っつあんであり(平岡さんは盲ではないけれど居合い抜きの動きはなかなかだ)、先輩であり、空手マインドをもつ同志であり、とにかく毎度ビックリを伴う逢瀬をしているものだけれど、平岡さんはこんなヒヨッ娘を相手にしても真正面からお喋りをしてくれるのでほんとうにうれしい。平岡さんがディスクジョッキーをしていたラジオ番組は聞いた事がないけれど、上杉清文さんとの対談集『どーもすいません』みたいなことが目の前で繰り広げられるものだから、つまり電話リクエストをしていたはずが受話器片手にふすまを開けたら隣の間がスタジオだった、みたいな贅沢さなのだ。

話を『昭和ジャズ喫茶伝説』に戻そう。平岡さんの『大落語』、あれは平岡少年の大河ドラマだった。今度は1960年代から多くのジャズ喫茶に通い続けた平岡青年の記憶と記録のお話。「汀」で「あらえびす」で「DIG」で「ダウンビート」で、店のスピーカーからは数々の名盤の音が流れ、時が過ぎ、そして、書物のページからは平岡正明のいつものお喋りがきこえる、そう、ラジオのように。その声を聴きながら、70年代生まれの若いわたしたちは、ついぞ見られぬ景色をいつかの記憶のように思いえがく。

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一九六七年九月、「ジャズ批評」創刊号は、和文タイプ印刷。巻頭が、俺の「ジャズ宣言」だ。
「どんな感情をもつことでも、感情をもつことは、つねに、絶対的に、ただしい。ジャズがわれわれによびさますものは、感情をもつことの猛々しさとすさまじさである。あらゆる感情が正当である。感情は、多様であり、量的に大であればあるほどさらに正当である。感情にとって、これ以下に下劣なものはなく、これ以上に高潔なものはない、という限界はない。瀆神、劣情、はずかしさ、憎悪、うぬぼれ、卑怯……これらはひとまえでだしにくいが、しかしそれらの感情をもつことがただしいのみならず、場ちがいで破壊的な感情がめばえたときにでも、その感情をもつことは絶対的なただしさがある。」
この宣言で、俺はジャズ評論家になった。
平岡正明『昭和ジャズ喫茶伝説』(平凡社)より)

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