植草甚一/マイ・フェイヴァリット・シングス

うっかりしていたのだ! 「植草甚一/マイ・フェイヴァリット・シングス」展が、明日で終わるんだってこと! 仕事をしたりフェルトを縫ったりドーナッツを食べたりしているあいだに、季節はすっかり冬を迎え、空は青く、やせがまんのジャケットではすっかり寒くなった。わたしはぐるぐる巻きにしたマフラーに頬骨までうずめて電車に乗った(自転車でひゅいっと出かけるつもりが、向かい風の冷たさにおじけづいたのだ)。

芦花公園駅から歩いて数分の、世田谷文学館へ。こちらには五月に「向田邦子/果敢なる生涯」を観に来た以来。一階の展示室を使って、植草甚一氏のさまざまなコレクション(レコードもあればもちろん小説も、切手も)と直筆の手紙やハガキ、原稿などが展示されていた。氏の二千枚ほどのジャズレコードコレクションは、現在タモリ氏が引き取っているらしい。

子どもたちはみんなJ・J氏に憧れる。わたしが最初に読んだ植草著作は何だった? 学生時代に、市の図書館で見つけたのが最初だとおもう。その時期だからきっと映画に関するエッセイだ。四十冊ある『スクラップブック』のどれか一冊だったはずだ。それから夢中になったのは言わずもがなの話。わたしは、われながら相当な「お片付け好き」で「すぐ捨てる子」だけど、自宅の書庫で山積みになった本に埋もれるJ・J氏のことは大好きだ。真の創造というのは、反射神経からだけでは生まれないということを、改めて感じるのだった。改めて年表を見るとおどろくよ。膨大な著作の多くは四十歳を迎えてからのものばかりなのだ。遅咲きということを言いたいのではない。きっとそれ以前がまた面白い日日だったのだろう。チビッコ時代、そして東宝入社してから、二十代、三十代の若きJ・J氏が吸収し集めていったものの多さといったら。彼が散歩した道のりはなんと長く奇妙な冒険だっただろう!

ねえ、J・Jおじさん。いまもなお、僕らはあなたみたいな大人に憧れ続けているんだよ、ねえ。