鴨居羊子と細江英公 「ミス・ペテン」

フレンチ・カンカンについての指南という名のおしゃべりをいただいた日本橋のカフェで、会話のエピローグでさりげなく渡された一枚のポストカード。「細江英公写真展 <ミス・ペテン>」。あ、鴨居羊子さんですね、と、手に取ると、「えっ、ごぞんじですか!」と、初対面だった女性との距離がぐぐっと縮まった。「わたし、この会期中に二度、朗読をするんです。よかったら」。彼女の控えめながらも真摯なまなざし。小一時間のおしゃべりで聴くその声にうっとりしていたし、前々から気になっていた朗読の場も体験したかったし(ややっ、思い返したら、今年の正月の小森慶子さんとアラン・パトンさんのライヴのときに、経王寺のご本堂で北原久仁香さんの朗読を体験していたわ)、なにより鴨居羊子さんはとても好きな表現者である「少女」だ。よころんでハガキをいただいた。場所は茅場町亀島川に架かる霊岸橋ちかくの古書店森岡書店。「細江英公写真展 <ミス・ペテン>」へ、ひとりで出かけた土曜日の午後。

ときは一九五一年、大阪。駆け出しの若い新聞記者の女の子が、鏡に映る自分の下着姿を眺め、強い志をもってとつぜん下着屋に転身。どこかの会社に入ったわけでも、先達がいたわけでもない。商売も金勘定もはじめてで、のら犬みたいにひとりきりで、ピンクのガーターベルトとカラフルな夢をにぎりしめ、ひらりと世界に飛びだした。そして、それまで白やネズミ色やらくだ色ばかりの保守的なメリヤス下着がはびこる世界に、魔法のようなアイディアと軽やかな行動力でもって、あざやかな女性下着を生みだした。彼女がどんなに素敵なハスッパ娘だったかは、自伝『わたしは驢馬に乗って下着をうりにゆきたい』で楽しめる(『鴨居羊子コレクション1 女は下着でつくられる』(国書刊行会)に収録)。これは革新的な下着ブランド「チュニック」が育まれていく経緯と、鴨居羊子の情熱と貧乏魂とが健全に燃え上がっていく様子を描いたひとつの青春の物語だ。

その鴨居羊子さんが、下着デザインのお仕事のかたわらに、手づくりで生み出したふしぎな表情をした人形たち。それら彼女/彼らをさまざまな風景のなかに配し、一冊の写真集『ミス・ペテン』にまとめて自費出版したのが一九六六年のこと。撮影は三十代だった細江英公さん。『ミス・ペテン』のことは、二〇〇四年に京都の恵文社ギャラリーアンフェールで行なわれた企画展の案内で知っていた。ただ、京都まで展示を見に行くことは叶わなかったので、この写真群を見るのははじめてだった。森岡書店の白い壁のなかに並べられたオリジナルプリントの数々。線路、空、廃屋、テレビジョンなどさまざまなシーンのなかに、半裸や下着をつけた人形たちが映りこんでいる。思いのほかコントラストが強くはない、むしろ柔らかな印象を受ける細江氏のモノクロ写真から、鴨居羊子のカラフルな夢が立ち上がっていた。

「私はひどくせっかちだった。オフィスで仕事に精魂をかたむけていると、それ以外の私があわてだした。いつも何かが欠けていると思ったし、何かに充たされない思いがついてまわった。私はソロバンの音を背に聞きながら、事務所の狭い机で、自分のために絵を描きだした。下着姿の娘、ロバに乗った娘、水の中に入った淑女、羽の生えた豚の天使、トイレの中のマダム、ランチ・タイムの犬と主人、サーカスの娘とライオン、富士山と天女、海猫を追う犬――この初めのころの絵は、小さいサム・ホールのカンバスに、自分流に工夫した絵具でぬりこめた。これら幼稚な絵を大真面目で描いて個展など開き、ミス・ペテン展と名づけた。(中略)私がいまほしいのは、近代的なビルディングでも何百坪の合理的なオフィスでもない。海と野原に囲まれた工場で、できたての商品をロバで運んでいる自分の妙な姿だった。」(鴨居羊子『わたしは驢馬に乗って下着をうりにゆきたい』)

さて、わたしが「ミス・ペテン」を訪れたのは、展示最終日の午後三時(せっかくなら会期前半に紹介しておけばよかったのに、このへんがわたしのウッカリなところだ。そして、その夜の朗読をたのしむことがかなわなかったのもざんねんだ)。茅場町駅の階段を上がり、霊岸橋の目の前で路地を右に入ると、とても味わいのある古い建物がある。京都三条の「ART COMPLEX 1928(カフェアンデパンダンのある、元旧毎日新聞社ビル)」や、京橋の映画美学校が入っている片倉ビルに似た雰囲気。


大きなガラスの扉を開けて中に入る。ハガキを見直す。森岡書店は三○五号室。

はじめて訪れた森岡書店はとても落ち着く空間で、写真集や画集、デザイン関連の古書を主にゆったりとした展示が、そして奥半分はギャラリースペースになっていた。神保町の一誠堂書店で働いていた方が開いた古書店なのだそう(一誠堂書店は映画関連の書籍が充実していて好きな古書店で、ハタリブックスの「座頭市映画手帖」を直接は納品していなかったのに、なぜか店頭で扱っていただいていました)。お店の方はふたり、はじめて聴いた気がしないような穏やかな音楽が流れ、開けた窓のすぐそばには川と緑が見えた。とても落ち着くすてきな空間。わたしと入れ替わりに帰った女の子も「さよなら」と挨拶をしてドアを閉めていった。客はわたしひとりだけになった。写真をゆっくり眺めて、関連書籍や過去のパンフレットなどの展示を眺め、ずいぶん前に読んではいたが買いそこねていた『鴨居羊子コレクション1 女は下着でつくられる』を一冊買った。白いスペースにぽつんと置かれた机の前でお代を払い、お店の方とすこしおしゃべりをして、朗読家さんに借りていたカンカンの資料を預けて、すべての用事がすむと、やっぱりわたしも先の女の子と同じように「さよなら」とドアをしめた。細江氏の写真を通して、鴨居羊子さんが表わした情熱をすい込めば、ほら、これがもう、ひとつのエールになる。

「ものを産む立場と批判したり紹介したりする立場と、それはどちらもすばらしい。例えば、真の評論家というのは、世の中を新しい方向へ躍動させるエネルギーそのものだと思うことがある。ディアギレフがピカソに舞台を作らせ、ディオールに衣裳をつくらせ、すごいバレリーナをキラ星のように並べて踊らせ、クラシック・バレエの殿堂をきずいたように、……しかし、私はなんでもいい。金づちでも、ナベでもいい。ものを作るほうになりたかった」(鴨居羊子『わたしは驢馬に乗って下着をうりにゆきたい』)

女は下着でつくられる (鴨居羊子コレクション)

女は下着でつくられる (鴨居羊子コレクション)

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【細江英公写真芸術研究所】